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PC-98神話を崩したDOS/V 日本のパソコンを常にリードした日本電気のPCシリーズは、IBMのPC-AT互換機というスタンスではあったが、実に日本人のオリジナリティを確立するに果たしたという意味で貢献をした事は評価すべきである。 高性能CPUとメモリの低価格化により、日本語処理をソフトで高速処理をする事が可能になり、IBMを始めとする海外のメーカーや、それまで日本電気に苦渋を飲まされ来た国内の各メーカーは、低価格で作れるDOS/V機を次々と市場に投入してきた。1990年に入った頃だと思う。国内ではノートパソコン「ダイナブック」で既に業績を残していた東芝、日立、エプソンダイレクト(EPSONはPCシリーズとは別に通販に限定したラインを立ち上げた)SONY等、海外からはIBM、COMPAQ、とりわけCOMPAQの低価格パソコンは、半ば資産的な感のあったパソコンのイメージを覆す程で、おりしのバブル景気もあり爆発的に売れパソコン人口の増加に一役買った。晴海や幕張メッセの見本市会場で、印刷機材展や画像処理展、池袋サンシャインビルでのPage展等印刷関連の見本市が開かれ、私も良く出かけていたが、ある年を境に殆どのメーカーやソフトハウスがそれまでPC-9800シリーズで行っていたデモンストレーションをCOMPAQに切り換え、その様変わりに驚かされたのだった。 1993年~1994年の事だったと思うが1年でパソコンの販売台数が前年より倍増した、200%増である、日本電気はこの時40%の増加を記録し、驚異的な伸びを示したのだが、日本市場80%のシェアを誇っていた事を考えれば、やはり陰りの現れである。 PC-9821シリーズはWindows対応を基準として、巻き返しを計った機種である。DOS/V仕様を取り入れたのだが、PC-9800シリーズの資産も残すべく努力は成されている、PC-9800シリーズ対応の16ビットアプリケーションは殆ど問題なく動いたのである。マイクロソフトにプログラマーを出向し、ソフト開発にも従事させた。Windows3.1と95は、DOS/V仕様とPC-9821仕様の2種類が売られていた。それまではどのパソコンショップでも豊富あって不自由しなかったPC-9800用の周辺機器もDOS/V用が中心となり、わざわざオプションを取り寄せてPC-9800に繋ぐ様なことも珍しくなくなってきたのである。一番困ったのがプラグ関係である。私は、PC-9801VX・PC-9801FAそしてWindows3.1の為にPC-9821AS2と3台のパソコンを持っていたが、ハードディスクやMOドライブ等の増設にはその都度悩まされることなった。その後数年間でDOS/V機を増設したこともあり、40cm×60cm×40cm位の段ボール箱一杯に、変換アダプターやケーブルをコレクションする羽目になったのである。最近は少なくなったが、当時のパソコンショップには、変換アダプターだけで3m位のコーナーがあった。 日本語処理を売り物にしていたのは、PC-9800だけではない、取り分けPC-9800の看板的存在が一太郎と言うワープロソフトである。私もATOKにしっかり馴染んでいて、僅かな間ではあったが結構不自由な思いもした、ソフトの話はそれでまとめて見たいと思う。 PC-9821もVシリーズを最後に1990年代の後半には姿を消すこととなる。ある種のアプリケーションが動かない、ハングアップする等、日本電気の必死の研究努力のかいもなく、PC-9821シリーズはトラブルの連続だったのである。Windows98がリリースされる頃になってついに日本電気は約20年間保ち続けたPC-9800アーキテクチャを捨て、日本電気も輸出用の機種はDOS/Vだったから技術的には問題はなくDOS/Vに全面移行したのである。PC-98NXシリーズがそれである。PC-98の名前は残したが、中身は完全なDOS/V機である。その後DOS/V用周辺機器やアプリケーションにあえて「PC-98NX対応」の注意書きがあるのに、何となく寂しさと違和感を持ったのは私だけだろうか? 2000年11月21(火)気温20度・晴れ |