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愚痴のはじまり
朝鮮動乱の年に生を受け、東京オリンピックに少年時代を過ごした。食糧事情がそれ程悪い訳では無かったと思うが、月に1度の朝市で口にする1杯25円(だったと思う)のラーメンが贅沢なご馳走だった記憶が今でもよぎる。2000年で丁度半世紀を生きたことになるが、日本の歴史の中でこれ程までに価値観や生活が変化した時代がかつて有っただろうか。そう考えると、たった一生しか生きられない自分が得をしたと思えたり、損をしたと感じたりするのである。 1999年1月14日(水)天気晴れ 愚痴について あまり深く考えずに「愚痴」という言葉を使っていたが、「愚痴」をキーワードで検索したところ、ある掲示板に出くわした。働き者と成功者は愚痴を言わないとか、心が弱いから愚痴を言う、愚痴を言うのは「カス」だ…とか。 私は自分なりの解釈で「愚痴」とは読んで字の通り「愚かなる知識」として、考えても仕方が無いもの、だから何なのと言う開き直りのつもりで使っていました。腹は立つがどうにも成らないが、とりあえず言うだけでも言って発散すると言う、自己満足のつもりでした。何事も裏と表があり、その両面にはそれぞれに正があり負があるのです。片方の見方だけで全てを括ることは出来ません。マーフィの法則の中に「あまり強く押すと反対側に落ちる」と言うのがありました。同時に強く引きすぎても反対側に落ちることもあると思います。「愚痴」はその頃合にあるほどの方便なのだと言うのが私の考えです。 改めて「愚痴」って何なのかと思い、調べて見ることにしました。どうやら仏教で、貧(とん、貧欲・むさぼり求める心)、瞋(しん・怒りや憎しみの心)、癡(ち、心理に対する無知の心)を「三毒」と呼び人間が克服しなければならない煩悩の根源であると教えているだそうです。三つ目の「癡」が愚痴なのです。そして残りの二つもその根源には「癡」があるのだそうです。頑張ることを否定はしませんが、その中にもしかしたら「貧」や「瞋」あるのかもしれません。世間で、勝ち組といわれる人々の多くは「貧と瞋」が無ければ達成できないと考えれば、その根底には「癡」があるのかもしれません。 松下電器の創始者の「松下幸之助」氏を非常に崇拝しているある方と、たまたま一緒に仕事をする機会がありました。何かにつけて幸之助氏の言動を引き合いにしその素晴らしさを彼は熱弁するのですが、二股ソケットを発明しただけで、あの会社がここまでに成ったとは誰も思ってはいないと思います。幸之助氏が直接指示したかどうかは解りませんが、松下電器の特約店政策の影で一家心中をした電気店が少なからずあったことを彼は知りませんでした。人が経済で成功するのは本人の努力だけでは有りません。周りの人々の助けは勿論ですが、それにも増して、多くの敗者と呼ばれる「弱者」がいることを否定できません。だからと言って、弱者の方が正しいと言う根拠も気持ちもありません。言ってどうなることでも無ければどうする訳でも無いもの、それが私の「愚痴」なのです。 2009年5月 |
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