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権力に対抗するには武力しかない 依然テレビドラマの中でいかりや長助演じる老刑事が若い刑事に向かって「正しいことをしたかったら偉くなれ!!」と叱咤する場面があった。 この中で“何が正しく何が正しくないか”ということを考えた訳ではない。ドラマ自体が作者が現代を皮肉っているのがよく見える作品であり、見事な表現をしたものと感心した。 正義は常に権力側にあり、権力が正義を定義する現実は存在するのである。そしてその正義は権力側が権力を維持するために定義され、 非権力側を弱めるためにしばしば用いられるのである。権力を持たずして正義を叫んでもなににもならない。この事はある一方において正しい理論である。 現場で正義を貫こうとして果たしえなかったが、権力側に身を置いては自らの正義が成り立たない老刑事の苦悶の悟りであろう。 数年前沖縄で起こった米海兵隊員に依る女子学生暴行事件に端を発し、沖縄の基地問題が急浮上した。沖縄問題は敗戦後現在まで続いている問題である。 ある時期学生を中心とした一部の過激行動は有ったが、基地に反対する善良な多くの住民は根気よく冷静にこの問題に対処してきたのである。 彼らは権力側の定義する正義を受け入れ、その定義の中で50年という長い時間を掛け闘い、基地使用に関し地主は権力側との使用期限切れを楯に勝利目前まで漕ぎ着けたのだが、 にもかかわらず、権力側は定義を覆す事でこの問題を処理してしまったのである。権力側に大義が無い訳ではない、日本の安全保障という重大な問題との対比の上での判断である。私自身は沖縄に関わらず日本にある米軍基地(外国の軍事基地)には全面的に反対であるが、それを伏せたとして、権力側の判断そのものを否定するものでは無い。 問題なのは権力側の正義の定義をもってしても、権力側に対抗できないという恐ろしい話である。その事が何を意味するのか、結論を言えば「権力に対抗するのは武力しかない」と言うことになるのである。「暴力を否定し民主主義を唱え、 公共の福祉を大切にする」という権力側の正義は自らが権力側に居るという利権の為に働くメカニズムとして定義されていくのである。豊臣秀吉は農民の出で有ることから、 自分が武力を持って権力側にたったにも関わらず、農民が武力を持つ事に恐怖を持ち農民から武器を取り上げたのである。その大儀は「暴力の無い安全な国造り」だったのではないだろうか。権力側がその権力を維持するためのエネルギーは大変なものだろうと察する。それでも権力側はきっと居心地がいいのだろう。 「権力に対抗するのは武力しかない」この意識が権力側に無い限り民主主義はあり得ない。沖縄の基地問題はもっと多くの議論があっても良かったのではと考える。そこで考えた、代替えヘリポートを東京に持ってきたらと、東京のど真ん中に大きな土地がある。皇居である、幸い天皇家には京都に御所がお在りになり、京都の方々はいまだに「東京の皇居は仮住まいで、いずれ京都にお帰りになられると思っている」と聞いたことがある。 沖縄に有る基地が必要ならそれが東京に有っても不都合は無いはずである。もし東京に有ることが不都合なら、沖縄にとっても不都合なはずだ。国会議事堂の真正面に米軍の基地がある、想像しただけでワクワクしてくる。 (1999年1月25日(月)・今日は久しぶりの雨) |