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3つの文化

人と人がつながって行くのには多くの決まりや約束事、しきたり等がある、きちんと整理された法律や規則のほか、習慣や宗教そして芸術、芸能等、ぼんやりしたもの等多岐にわたる。先人の経験と知恵によって培われたこれらを私は「文化」と考えている。従って文化は時代や民族や環境などによって大きく変わる。民族間の文化に大きな違いがあることは、ある意味仕方が無い、従い良識の範疇でお互い尊重し認め合うべきであろう。
 同じ民族であっても、人はそれぞれに違った環境の中に育つ。価値観や人生観も異なる、個人がそれぞれの独自な文化を持っていても不思議ではない。そしてそれらの文化のの多くが「常識」という姿で現れ、個人を左右したりするのである。従って常識はその時代や環境によって異なるのである、そして変化していくのである。その時代や環境の非常識はやがて常識になったりする。非常識は大切なことなのである。

文化には3つの顔がある、「伝承する文化」、「創造する文化」そして「破壊する文化」である、普通にしきたりを守り前例を大切に生きていけば良い伝承文化はそれなりに洗練されほぼ間違いは無い。多くの場合これで済む。そしてまた、同じように次の世代に伝えていけばよく、仮に大きな問題があってもそれを自ら解決をする必要も無く、自分にとって不都合が無ければ実に重宝に使える。もし不都合が有っても権力側にさえ居れば都合よく使うことが出来る。創造する文化と破壊する文化は一対になっている。創造だけでは恐らく空絵ごとになってしまい、独断と偏見に陥ってしまうだろう。また、単に破壊だけでは無秩序を生んでしまう。社会が無秩序であって良いという考えもあるがその議論は避ける事にする。どこを破壊し何を創造するかを繰り返してこそ先人が作り上げた来た伝承する文化を受け取り後世に残すものが「文化」だろうと考える。変化することを過度に避けることは無い、むしろ積極的に向き合っていくことが大切と考える。適当な例えかは解らないが、かつてサッカーJリーグを立ち上げるにあたって当時の川渕三郎氏は、周囲の大方の早計論に対し「そんなことを言っていたら百年経っても時期早々である。」と述べたそうである。「千里の道も一歩から」と言う中国の古事があるが、本来の意味と合わせてこう解釈をしている。「最初の一歩が無ければいつまで経っても千里の道は縮まらない。」

改めて良識ある非常識が未来の常識を生むことに向き合っていくべきであろう。そして目の前にある非常識を寛容に受け止め、短絡に排他するのではどう活かしていくか考える必要があると思う。最後によく話題になる「正しい日本語」について私見を述べておく。正に言語は「文化」そのものである。そして時代とともに変化して来た、方言の様に地域によって異なっているものも多い。その時その場所で使われた言葉で相手に意思が伝わればそれはそれで正しい言葉であると考える。本来とは異なった意味の言葉も多くなっている、無理に引き戻す必要は無いだろう。そしてその意味でも、法律用語が文語文であることもあえて変える必要は無いだろうと思っている

(2009年11月1日)