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M君のこと 私は30代の始めの頃、20人足らずの小さな印刷会社に勤務し、工場の進行管理をしながら、刷版を担当していた。会社は菊全版の枚葉単色と二色の平版オフセット印刷機2台を動かし、市内では中堅の印刷会社であった。人員が必ずしも十分ででは無いため、工場の雑用も私の仕事だった、そのため殆ど残業・徹夜の毎日だった。進行とは、営業が受けてきた仕事の工程を決め、納期までに仕上げる事をする。その工程に合わせて、材料や、必要な外注手配と多岐にわたり任せられていた。刷版とは、印刷機に取り付けて印刷をする版を作る工程である。版は薄いアルミ板で出来ていて表面に薬品が塗ってある、菊版とは636×939mmの大きさだが、その印刷用の紙は一回り大きくなる、更に版はそれよりも大きいのである(1036×768位で有ったと思う)。このアルミ板に光をあて薬品処理をして印刷用の版を作るのである。これも私の仕事だったが、忙しい私を見かねた会社は、都立の職業訓練校を終了した若者を採用して私の下に付けてくれたのである。彼がM君である。会社としては金星のつもりだったのだろう、彼が専攻したのが印刷科だったからである。 日間M君と接し、私は社長にこう報告した。「短絡的に彼に期待をしないで頂きたい、彼を育てるには時間が掛かりますので。」この時社長は私の言っている意味が解らなかったらしいが、その後、私が何かの事由で現場を離れた時、彼に直接に接した社長はそれを納得をしたようである。 1/2+1/2が1である事をどう説明するか、こんな事から悩んだのである。M君は都立の高校を卒業して、職業訓練校に行き学んできたのである。学校の白い解答用紙には1/2+1/2との問いは正しく答えていたのだと思う(最も高校の試験には出てはいないだろうが)。それが実際の仕事や生活のどう使われるかとの実感が無かったのでは無いかと思った。一つ一つの場面で一つ一つを教える。腹を立てないで根気よく対処する。これが私の覚悟であった。 面付けという作業があり、1面つけから複数の面付けまで理屈は全く同じである、ただ両面に印刷する場合印刷機の大きさと印刷物の大きさ、縦横の関係で方向が異なる場合が有る、その事を懇切丁寧に説明したつもりであったが、翌日の作業でその事は理解されていなかった。そして、彼から帰ってた答えは「4面付けは教えてもらいましたが、今日のは3面付けでした。」 1面付けからの全てのパターンをその都度解説をしなければ成らないようである。
そんなことを話題にしていると、それは心理学の世界だとアドバイスをして、「青年心理学」なる本を貸してくれた友人がいたが、そうだろうかと思いそのままにした。同時にそうだとして理論・理屈で解決するとも思えず、根気よく接することにした。 彼とはよく世間話もした、ごく普通に会話もしたし、彼なりの人生観や哲学もあって、夢も語るのである。残業で遅くなり車で家まで送ろうとすると、彼はそれを断ってくるのである。彼はご両親と同居していて、自宅はの小高い裏山を越えた所の団地に住んでいた。会社までは、町田駅までバスで行き、町田駅から鶴川駅行きのバスに乗り通勤していて、まさに槍の先の様な動きをしていたのである。直接歩いても20分そこその距離である。車で送られたほうが楽で便利と考えるのは正に凡人なのかも知れない。彼は必ず町田まで行き、何らかの時間を過ごす、それが何なのかに興味はあったがあえて聞くことはしなかった。家に帰りたく無いのかとも思ったがそうでも無いらしい。ただ仕事を終えてそのままプライベートに入るのが耐えられないということで、その緩衝材として町田の街があると言うのだった。未成年だった彼は酒を呑まない、さしずめ私が酒を呑んで1日を終わるのと同じ意味だったのだろうか。 そんなこんなで約1年間彼と付き合った、まあまあ仕事も出来るようになっていたが、私としては、まだ半人前でにも成っていないと判断であった。そんなある日、彼が会社を辞めたいと言ってきた、話を聞いてみると、会社や仕事に不満や不安がある訳ではなく、何か自分のしたいことととの間に隙間を感じているとの事だった。それならもう少し続けようにと応対した。彼には、まだまだ仕事が不十分なこと、ここで止めたら中途半端になること、そして私がそのこと十分と感じるまで待つように言った。素直に受け止め彼はそれから又、仕事を続けることになった。それからは、単に作業を習得するに留まらず、仕事に対する考えや、自分から仕事を創造していく楽しさやその意義など、あらゆる機会に接したつもりであったが、どこまで通じたかは解らない。一通りの作業を習得した彼は、その約1年後に又辞表を持ってきたが、今度は受理して会社に提出した。まだだと判断すれば、確かにまだまだであるが、切りが無い。彼の挑戦や体験を邪魔する理由も無い。 その数年後、私は社内起業と言う形で製版・刷版を会社から引継ぎ独立をすることになった。M君の後にもう一人私の下にS君という部下がいたが本人の意向もあり、知人の紹介だったO君を加え3人で会社を設立しスタートをした。やがて親会社以外にも仕事を徐々に増えて近所の団地にお住まいのパートさんなどもお願いするようになり、作業場がかなり手狭になってきた。そんな折いいタイミングで、弱電メーカーの工場が移転で空くことになり、そこを借りることになり、製版は問題がないが、刷版という作業は基本的に印刷機に直結しているため移せないのある。設備はそのまま残し、親会社で引き続き行ってもらうことにしたが問題はスタッフにあった。S君はすでにいなくなっていたので私のほうで、人を残すことは出来なかった。見習いを入れて育成している時間も無く思案をしていると、M君を思い出し連絡をとってみることにした。家の方に連絡し様子を伺い、連絡を頂けるようにお願いをした。M君は、弱電メーカーで家内下職への部品の集配をアルバイトでやっているとのお話を聞き、説得を試みることにした。かくして、彼は又刷版の仕事することになり、私たちも作業場を移転して再スタートをしたのである。
それから、親会社で一時期一緒に仕事をしたTさんのご子息が高校を卒業して就職が決まっていないので製版の技術者として鍛えて欲しいとのご意向があり、引き受けることになった。実はこのTさんはその後、親会社の印刷会社で再びパートとして勤務して、M君の下で刷版をすることになったのですが、ある日雑談をしていたら実に興味深い話をしてもらった。M君は彼女に対し「私は同じことは2回言いません、しっかりと覚えてください。」確かに正論である。私を悩ませたM君の立派な訓示であった。 2009年5月 |